Mr.Children

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●1980年代(頃)

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Mr.Childrenについてのレビュー


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Mr.Children (ミスターチルドレン)は、日本のロックバンド。略称は「ミスチル」。音楽プロデューサーは小林武史。所属事務所は烏龍舎、所属レコード会社はトイズファクトリー。公式ファンクラブは「Father & Mother」である。

http://www.mrchildren.jp/[メンバー]

★桜井和寿 ボーカル、ギター
★田原健一 ギター
★中川敬輔 ベース
★鈴木英哉 ドラムス、コーラス

[概要]
同じ高校に通う桜井・田原・中川が中心となり、バンド「THE WALLS」を結成。しばらく活動していたところに、他のバンドで活動していた鈴木が加入し、1989年1月1日に「Mr.Children」と改名した。ライブハウス「渋谷La.mama」を中心に、約3年5ヶ月間アマチュアとして活動。プロデューサーに小林武史を迎え、1992年5月10日に、ミニアルバム『EVERYTHING』でメジャーデビュー。1993年発売の4thシングル「CROSS ROAD」は、オリコンチャート最高6位にも関わらずロングヒットを続け、初のミリオンセールスを達成。1994年発売の5thシングル「innocent world」は初登場1位を獲得、同年の年間シングルチャート1位に輝き、第36回日本レコード大賞を受賞。1994年から1995年に発売したCDは、全てミリオンセールスとなり、メディアに「ミスチル現象」と評された。しかし、ほとんど休みのない過密スケジュールと、一部メディアやファンによってプライベートまで丸裸にされる環境に疲れ果てたメンバーは、1997年4月から無期限の活動休止期間に入った。1年半の休止期間を経て、1998年10月に、15thシングル「終わりなき旅」で本格的に活動を再開。2001年には、区切りをつけるべく、2枚のベストアルバムを発売し、翌年に10周年を迎えた。同年、桜井が小脳梗塞を患い、一時はその後のアーティスト生命を危ぶまれたものの、半年の療養を経て24thシングル「HERO」で音楽活動を再開。現在までコンスタントにCDをリリースし、活動を続けている。

[音楽性]
ポップサウンドが特徴で、バンドという形態をとりながらも、歌を大切にしており、アマチュア時代から一貫して、桜井がほとんどの曲を作詞・作曲し、小林武史とMr.Childrenが編曲を担当している。ただ、作詞はほぼ桜井1人によるものだが、作曲は必ずしもそうではない。メロディー重視のバラードなどの「歌もの」は、桜井がほとんど1人で作曲するが、サウンド重視の楽曲は、桜井がある程度曲の骨格をつくり、そこからメンバー及び小林と合同で、バンドセッションを繰り返し、完成させる。場合によっては、桜井の作ったデモテープから大幅に変わる曲もあり、クレジット上では、作曲:桜井和寿になっていても、厳密には作曲:Mr.Childrenという色が強い曲もある。曲作りの主な流れは、以下の通り。
1. 桜井が、日常の中でふと浮かんだメロディーを、ICレコーダーなどの携帯記録媒体に録音。
2. それを元に、ギターやピアノを弾きながら作曲。1997年からは、自宅地下の作曲ルームで、Pro Toolsを使用した、機械的な作曲も行われている。
3. 出来上がった曲に、歌詞をつける。曲のメロディーにつられるように、同時に歌詞が浮かぶこともある。
4. そのデモテープをスタジオに持ち込み、メンバー及び小林と合同で編曲。メンバーは、自分の担当楽器のパートを音色付けしたり、改良する。小林は、主にキーボード・アレンジとストリングス・アレンジを担当し、場合によっては、桜井に対し一部歌詞の変更を求める。
桜井はエルヴィス・コステロに声質が似ていると度々指摘されていて、桜井自身はそれを意識していなかったが、楽曲を聴いて気に入ったこともあり、「シーソーゲーム 〜勇敢な恋の歌〜」では楽曲、PV共に意識した部分が多々ある。坂本龍一からもコステロからの影響を指摘されている。

[ライブ]
アルバムを発売した後は、必ずライブツアーを行っている。また、それとは別に、1995年から6年毎に、その時期の集大成となるスタジアムツアーも行っている(開催が約束されているわけではない)。1回のライブにおける平均的なデータとしては、曲数は20曲強、公演時間は2時間30分、MCは、桜井が単独で話す場合が多い。MCに割く時間は、1994年から徐々に減り始め、1996年からは、1回のライブで数回行われるMC時間を合計しても15分程度になり、あくまで曲を聴いて欲しい、という姿勢が顕著になっている。ライブ中は、田原と中川はあまり定位置から動かず演奏し、積極的にステージ上を動いて観客を盛り上げるのは、桜井の役目になっている。

[名前の由来]
「THE WALLS」から「Mr.Children」に改名した日付は、正確には1988年12月末。渋谷のファミリーレストランロイヤルホストに4人が集合し、紙ナプキンに書いて案を出し合った。まず意見が一致したのは在り来たりなTHEから始まる名前はもう止めるということ。当時4人は「チルドレン」という響きを気に入っていて、好きな物にも関連の言葉が多かった。イギリスのバンド「THE MISSION」が1988年に発表したアルバム『CHILDREN』、同じくイギリスのバンド「The Railway Children」、世界中の飢えや貧困に苦しむ子供を写したロバート・キャパの写真集『戦争・平和・子どもたち』など[6]。しかし大人になった時にChildrenのままでは困るので、正反対のMr.を付けた。そして切りが良いという理由で公的な改名日を年明け1989年1月1日に設定した。名前をつけた当初は響きを重視して深い意味合いを持たせなかったが、メジャーデビュー後に所属事務所から「もっとプレゼンが上手くならないといけない」と言われ、後付けで「大人から子供まで幅広く聞いてもらいたい」という意味を付け足した[7]。小林は、子供っぽいという理由から再度「本当にこのバンド名でいいのか?」とメンバーに念を押したという。

[アマチュア時代]
1985年
4月、桜井・田原・中川が同じ高校に入学。桜井と中川はすぐに軽音楽部に入部。
5月、野球部だった田原を桜井が連休明けに軽音楽部に誘い、別のドラマーと女性キーボードを含めた5人組のバンド「Beatnik」を結成し、最初はコピーバンドとして練習を重ねていった。
12月、初のオリジナル曲「クリスマスナイト」を製作。以後、少しずつオリジナル曲のレパートリーを増やしていった。
1986年
文化祭でライブを行ったり、音楽コンクールのテープ審査に応募していた。
1987年
12月3日、前身となる「THE WALLS」名義でオリジナル曲のみのテープ『ticket』を製作。
1988年
3月、高校を卒業し、大学には進学せずアルバイトをしながら本格的にプロデビューを目指して活動していく。
4月、吉祥寺のライブハウスシルバーエレファントに出演。初のライブハウス出演を果たした。この日の対バンには鈴木の所属するバンド「フェアリーランド」も含まれており、中学の同級生であった田原・中川・鈴木は久しぶりの顔合わせであり、面識のなかった桜井と鈴木の初対面の日でもあった。
10月、コンクールのテープ審査を通過したものの、ライブ審査の前にドラマーが脱退。桜井が審査用の曲が入ったテープを持って鈴木の元を訪れ、ライブ審査当日までという約束でドラムスの代役を頼んだ。しかし鈴木のテクニックを見込んだ桜井は後日改めて今後も一緒に音楽をやって欲しいと依頼し、納得した鈴木は掛け持ちしていた全てのバンドを辞め、正式にTHE WALLSに加入。今の4人での活動が始まった。
1989年
1月1日、バンド名を「Mr.Children」に改名。
2月、渋谷La.mamaでの審査に合格し、月1回のペースで昼の部の対バンライブをしていくことが決定。審査をしたのはブッキングマネージャー(当時)の中山泰平。
8月、1stテープ『Hello, I Love You』発表。
1990年
5月、2ndテープ『そよ風の唄』発売。
9月21日、Swicthレーベルより発売された2枚組のオムニバスアルバム『MAGIC MELODIES 〜TURN TO THE POP Ⅱ〜』に参加。
12月24日、渋谷La.mamaにて初のワンマンライブ「X'masトレインに飛び乗れ!」を行い、入場者全員にスペシャル・テープ『19:00発、X'masトレインに飛び乗れ!』を無料配布。トイズファクトリーの専務(当時)である稲葉貢一もこのライブを観に来ていた。
1991年
7月、所属事務所がBAD MUSICに決定。しばらく経ってレコード会社がトイズファクトリーに決定。
7月20日、3rdテープ『Mr.Children』発売。そして渋谷La.mamaにて2度目のワンマンライブ「Father&Mother」を行う。前回のワンマンの動員数を大きく上回った。
11月、JUN SKY WALKER(S)の学園祭ライブのオープニングアクトを務める。この頃小林武史との初対面を果たしている。
11月15日、JUN SKY WALKER(S)の6thアルバム『TOO BAD』の9曲目「I WANT YOU」にコーラス参加。
1992年
2月15日、渋谷La.mamaにて3度目のワンマンライブ「TALKING ABOUT THE POP」を行う。自身初のチケットSOLD OUTとなった。

[メジャーデビュー後]
5月10日、1stアルバム『EVERYTHING』(ミニアルバム)でメジャーデビュー。
8月21日、1stシングル「君がいた夏」発売。
12月1日、2ndシングル「抱きしめたい」、2ndアルバム『Kind of Love』発売。
1993年
7月1日、3rdシングル「Replay」発売。
9月1日、3rdアルバム『Versus』発売。
11月10日、4thシングル「CROSS ROAD」発売。
1994年
6月1日、5thシングル「innocent world」発売。
9月1日、4thアルバム『Atomic Heart』発売。
11月10日、6thシングル「Tomorrow never knows」発売。
12月12日、7thシングル「everybody goes -秩序のない現代にドロップキック-」発売。
12月、「innocent world」が第36回日本レコード大賞を受賞。Mr.Childrenは「海外でのPV撮影」という理由で授賞式を欠席しており、日本レコード大賞史上唯一の受賞者欠席での大賞受賞となる。恒例である生演奏なども無く、代わりにTBSの別番組で収録された演奏が会場に流されるという稀に見る事件となった。
1995年
1月23日、サザンオールスターズの桑田佳祐との合同作品として、桑田佳祐&Mr.Children名義でシングル「奇跡の地球」発売。
5月10日、8thシングル「【es】 〜Theme of es〜」発売。
8月10日、9thシングル「シーソーゲーム 〜勇敢な恋の歌〜」発売。
1996年
2月5日、10thシングル「名もなき詩」発売。
4月10日、11thシングル「花 -Mémento-Mori-」発売。
6月24日、5thアルバム『深海』発売。
8月8日、12thシングル「マシンガンをぶっ放せ -Mr.Children Bootleg-」発売。
1994年から1996年までは、シングルカットである「マシンガンをぶっ放せ -Mr.Children Bootleg-」を除く全てのシングルがミリオンヒットを達成し、メディアでは「ミスチル現象」とさえ言われていた。
1997年
2月5日、13thシングル「Everything (It's you)」発売。
3月5日、6thアルバム『BOLERO』発売。
3月28日、初の東京ドームでのライブ後、突然の活動休止を発表。
1998年
2月11日、14thシングル「ニシエヒガシエ」発売。
10月21日、15thシングル「終わりなき旅」発売。本格的にバンド活動を再開した。
1999年
結成10周年を迎える。
1月13日、16thシングル「光の射す方へ」発売。
2月3日、7thアルバム『DISCOVERY』発売。
5月12日、17thシングル「I'LL BE」発売。
9月8日、ライブアルバム(8th)『1/42』(50万枚限定生産)発売。
2000年
1月13日、18thシングル「口笛」発売。
8月9日、19thシングル「NOT FOUND」発売。
9月27日、9thアルバム『Q』発売。
2001年
7月11日、ベストアルバム『Mr.Children 1992-1995』『Mr.Children 1996-2000』を2枚同時発売。
8月22日、20thシングル「優しい歌」発売。
11月7日、21stシングル「youthful days」発売。
フジテレビ系ドラマ『アンティーク 〜西洋骨董洋菓子店〜』(2001年10月~12月放送)では、Mr.Childrenの曲が多数挿入歌として用いられた。
FMフェスティバル '01にのちのBank Bandの前身となるAcid Testとしてジョン・レノンのカバー「MOTHER」で参加。後にMUSIC DELI端末で限定販売された。
2002年
1月1日、22ndシングル「君が好き」発売。
5月10日、10thアルバム『IT'S A WONDERFUL WORLD』発売。
7月10日、23rdシングル「Any」発売。
7月、桜井が小脳梗塞で入院し、約半年間、音楽活動を中断する事態となった。そのため、当初アルバム『IT'S A WONDERFUL WORLD』の発売に伴ったツアーを行う予定だったが全公演を中止する事態となった。
12月11日、24thシングル「HERO」発売。
12月21日、横浜アリーナにて一夜限りの復活ライブを行った。その後、鈴木の「諸事情」により本格的な活動の再開が遅れた(ミュージックステーション出演時に桜井が発言)。
2003年
11月19日、25thシングル「掌/くるみ」発売。
2004年
4月7日、11thアルバム『シフクノオト』発売。
5月26日、26thシングル「Sign」発売。
12月、「Sign」が、第46回日本レコード大賞・金賞(大賞候補)にノミネートされた(94年の「innocent world」以来10年ぶり)。同月31日に大賞の受賞が決まり、1994年に続き2度目となり、グループとしては史上初の複数回受賞達成し、授賞式にも出席した。
この頃にBank Bandを桜井和寿、小林武史を中心に結成し、活動を始める。
2005年
6月29日、27thシングル「四次元 Four Dimensions」発売。
7月16日から7月18日にかけて、「ap bank fes '05」に出演。この夏は多数の野外フェスに出演した。
9月21日、12thアルバム『I ♥ U』発売。
2006年
3月17日、「SPACE SHOWER Music Video Awards 06」で、「特別賞」を受賞。
7月5日、28thシングル「箒星」発売。
7月15日から7月17日にかけて、「ap bank fes '06」に出演。
8月27日、桜井と親交が深く、コラボレーションシングル「奇跡の地球」を発表し、共演したサザンオールスターズの桑田佳祐の呼びかけにより、「THE 夢人島 Fes.2006」に参加。
9月26日の名古屋公演から全国のZepp6会場にて、かねてから親交のあったthe pillowsと共に対バンツアーを行った。
11月15日、29thシングル「しるし」発売。
2007年
1月24日、30thシングル「フェイク」(40万枚限定生産)発売。
3月14日、13thアルバム『HOME』発売。
5月5日、鈴木が福岡公演終了後の食事の席で誤って換気扇に左手を挟み、人差し指を4針を縫う怪我をし、5月12日、13日の札幌公演を6月22日、23日に延期する事態となった。
5月10日、カップリング集アルバム(14th)『B-SIDE』発売。
7月16日、「ap bank fes '07」に出演。本来は7月14日から16日までの3日間に出演する予定だったが、14日、15日の公演が台風の接近により開催中止となったため、16日のみの出演となった。
10月31日、31stシングル「旅立ちの唄」発売。
2008年
5月31日、埼玉スーパーアリーナで行われた「VIDEO MUSIC AWARDS JAPAN 2008」に桜井と小林がサプライズ出演し、U2のボーカル、ボノに「Rock The World Award」を授与された。
7月19日から7月21日にかけて、「ap bank fes '08」に出演。この夏は2005年と同様に多数の野外フェスに出演した。
7月30日、32ndシングル「GIFT」発売。
9月3日、33rdシングル「HANABI」発売。
10月1日、配信限定シングル「花の匂い」着うた配信開始。
11月1日、配信限定シングル「花の匂い」着うたフル配信開始。
12月10日、15thアルバム『SUPERMARKET FANTASY』発売。
12月31日、NHK紅白歌合戦に「GIFT」で初出場。
2009年
結成20周年を迎える。

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